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リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2021. 7.  RIETI  LETTER
運命の男顔画像と経歴



  作詞家  売野 雅勇

 偶然書けた『少女A』が爆発的にヒットし、作詞家生活が始まった。1982年のことだ。作曲は芹澤廣明さん。歌手は中森明菜さんだ。

 「ヒットは人智を超えている」と言われるが、この作品も様々な好運が働き、80年代を代表する歌の一つになった。それまで僕は広告会社のコピーライターで、レコードの広告を作っていた。それが、その年ブレイクしたシャネルズの第一弾アルバムの新聞広告のキャッチフレーズが、たまたまシャネルズの制作者の目に止まり、作詞家にならないかと誘われた。作詞家になりたいと思ったことさえないのに。1981年のことだ。僕は歌謡曲の詞など書いたことがなかった。

 そんな僕に、明菜さんのアルバム用作品を集めているからアイドルの詞も書いてみたらどうかと勧める人がいて、僕は頭を抱えて苦し紛れにスキャンダラスなタイトルを思いつき、同じ作家事務所の作曲家がメロディをつけてレコード会社に送った。結果は不採用。が、数日後「歌詞がいいから、曲を付け直してくれ」と注文があり、今度は芹澤廣明さんの曲がつきアルバムに収録されることになった。採用されたことで喜んでいたのもつかの間、実はセカンドシングル候補になっていると聞かされた。最後の連絡は「『少女A』がシングルになりました」だった。

 芹澤さんはGS出身のギタリストで、作曲家としては全く無名だった。同じ事務所なのに顔を合わせたこともなかった。文字通りこの作品が、我々の出逢いだった。この一曲のせいで、僕たちの運命が突然激しく変わることになった。運命の男との、運命の出逢いだった。

RIETI LETTER 表紙画像  当時はアイドル黄金時代で、限られた作詞家と作曲家がヒット曲を量産していた。無名の作家に注文は永遠に来ない。そもそも発注者のノートに芹澤や売野なんて名前が載ってないのだ。それが一夜にして、ヒット作家の仲間入りをし、生活の全てをヒット曲作りに捧げるような過酷な生活が始まった。

 数年後、芹澤売野コンビは80年代最大のアイドルグループ、チェッカーズを世に送り出すことになる。ヒットチャートのベスト10に三曲同時にランキングされたり、髪型から服装まで社会現象にもなった。芹澤売野のコンビの曲を歌いながら、あっという間に頂点を極めた。間違いなく戦後最大のポップ・アイドルだった。

 チェッカーズがポップスの頂点を極めたのは、源流を遡れば、無名の二人の作家が『少女A』という曲を書いたことに行き着く。芹澤廣明さんと僕が出逢うことがなかったら、中森明菜さんも『少女A』を歌うこともなく、僕らはもちろん彼女の運命も変わったことだろう。

 チェッカーズがデビューする時に、芹澤売野コンビは存在してないのだから、皆さんに愛される、『星屑のステージ』も『ジュリアに傷心』を書ける人間はいない。『涙のリクエスト』だってこの世に存在していないことになる。ちょっと淋しいけれど、そういうことだ。始まりは運命と出逢いの『少女A』だったんだ。


次号は、医学博士の袴田拓氏にお願いいたします。

リレーエッセイ 「運命の男」(リーチレター 2021年7月号) 作詞家 売野 雅勇

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