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リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2016. 6.  RIETI  LETTER
「囲碁七冠王を育てた出会い」顔画像と経歴



  囲碁プロ棋士
趙 治勲

 井山裕太をご存知だろうか? 26歳どこにでもいそうな青年男子だ。少し特殊なのは彼の職業が私と同じ囲碁の棋士であるということ。そしてもう一つ、こちらはかなり特殊で、かつてないほどの圧倒的な強さを誇っている。

 4月20日。彼は囲碁界初の「七冠王」になった。碁界では七つのタイトル戦が一年を一期として行われている。六つを手にしていた彼が最後に残していたのが「十段」位。そこで勝利した歴史的な日だ。私も七つのタイトルを何年かかけて一通りは獲得したけれど、同時期の獲得数では四つ、四冠王が精一杯だった。この違いは大きい。ポーカーに例えるなら井山さんはロイヤルストレートフラッシュ。同じ絵柄で、なおかつ10から始まりエースで終わる形に限定される最高役だ。私は2から6のストレートフラッシュ程度だろう。

 井山さんはなぜ強いのか。自分より強い者のことなんて分かるはずもないが、多くの出会いが今の彼を支えているのは間違いない。

 囲碁を始めたきっかけはゲームソフト。お爺ちゃんだったかお父さんだったかが楽しんでいたそうで、それを見て興味がわいたのだろう。身近に囲碁をたしなむ人間がいなければ、彼は囲碁との出会いさえなかったかもしれない。

 お爺ちゃんは右利きの彼に左打ちをすすめた。右脳だか左脳だかの働きを良くすると信じていたようで、祖父がこのような説と出会わなければ運命は変わっていたかもしれない。いやいや、これは想像を膨らませ過ぎたか。

RIETI LETTER 表紙画像

 師匠は石井邦生九段。この出会いは基礎力の飛躍的上昇をもたらした。まだ小さかった彼が師匠のところへ通うのは難しいため、インターネットで何百、何千と対局したという。通常、師弟での対局は入門時に一局のみ。弟子が晴れてプロになればどこかの棋戦でぶつかることはもちろんあるが、それ以外では生涯一局だ。二局目があるとすればプロをあきらめ故郷へ帰るときと言われている。そんなしきたりを石井さんはなぜ破る気になったのか。井山さんの才能にほれ込んだからとしか思えない。

 また、ネット対局ではお互いの姿が見えないため、パジャマを着て菓子を食べていたってかまわない。気楽に碁を楽しめるのはいいことだが、反面、マナーの向上においてはマイナスだ。それなのに井山さんの対局マナーは師匠譲り。無駄な動きがなく、石を打つ動作は美しい。囲碁は別名「手談(しゅだん)」。石井さんの一手一手は井山少年の頭脳にだけではなく、心にも響いていたのだろう。

 井山さんの次なる目標は世界制覇だ。現状、日本は中国、韓国に後れを取っている。国内棋戦とのスケジュール調整という難題は残るが、そこはスポンサーと日本棋院、そして井山さんがとことん話し合ってクリアして欲しい。世界に出ていくことで生まれる新しい出会いは井山さんのさらなる飛躍を約束してくれるはず。そしてそれは日本囲碁界にとってもかけがえのない財産になるはずだ。



次号は、日本将棋連盟会長の谷川浩司氏にお願いします。
リレーエッセイ 「囲碁七冠王を育てた出会い」  (リーチレター 2016年6月号)囲碁プロ棋士 趙 治勲

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