箱根の芦ノ湖のそばに住み始めて37年の月日が経ちました。この木の家に今、住んでいるのも、骨董に魅せられたのも、農や食、美しい暮らしというテ―マを見つけることができたのも、すべては、先人や木との出会いによるものだと、運命の不思議さを思わずにはいられません。
中学二年生の放課後、図書館で出会った一冊の本がすべてのはじまりでした。「無名の人が作る美」「用の美」という言葉が綴られた本に魅せられ、私はこれまで長い旅をしてきたような気がしています。その本をお書きになったのは、民芸というものを見出し、世にその価値を問うた民芸の創始者・柳宗悦先生でした。女優としてデビューし、20歳になると、美の本質を追い求めて生きた柳宗悦先生のあとを辿るように、古い美しい道具を求めて国内を歩き始めました。
けれど時代は、真逆でした。古いものなど見向きもされず、地方では何百年も人々の暮らしとともにあった古民家が次々に壊され、新建材の家に建て替えられていました。
その旅の途中で、とある古い家の解体現場で、私は「助けて」という、心を切り裂かんばかりに悲しい木の悲鳴を聞いたような気がしたのです。矢も楯もたまらなくなり、その場で、家を譲っていただきたいと持ち主にお願いしてしまったのでした。その後、箱根のこの土地と巡り合い、さらに全国の古民家を見て歩き、結局12軒の家を譲ってもらい、今の家を20年かけて作りました。
それから鳥のさえずりで目覚め、四季折々美しい姿を見せてくれる富士山やその姿を鏡のように山を映す芦ノ湖を眺め、夜には小さなダイヤをちりばめたような天の川に抱かれる暮らしがはじまりました。自然は人を甘やかすばかりではありませんが、やはり自然の大いなる力に、人の感性を磨き、心を癒してくれる何かがあると、日々、感じます。
このごろ、改めて私の民芸の師であった池田三四郎さんの「この世の自然の造形物のどんなものにも、美があるんだ。そのあるがままの美しさを感じる心が大切なんだよ。ひたすら自然を見て学びなさい」という言葉もよく思い出します。
高度に経済が発展し、情報がものすごいスピードで世界中をかけまわり、たったの10年で今ある仕事の職種が半分以上消えてしまうといわれるほど変化が激しい現代。時代はこれからますます進んでいくでしょう。
けれど人は生き物であることに変わりがありません。ときには足をとめ、自分もまた自然の一部だということに立ち戻り、自らの五感を開放することもまた必要なのではないでしょうか。また日本の国土の約7割は森林であり、日本人は古来、森や山に抱かれて生きてきた民族でもあります。こうした時代だからこそ、未来の子どもたちのためにも荒れつつある森や山の再生のためにやるべきことがあるのではないかと思っています。