信州の里山のてっぺんに居を構えて24年、最初に植えたブドウの樹が12歳になった年にワイナリーを立ち上げてから、さらに12年が経過した。
標高850メートルの粘土質の土地では育たない、と専門家から言われたにもかかわらずワイン用ブドウの苗木を植えたのは、ほんの遊び心からだった。が、温暖化による気候の変化も幸いしたか、それまで東御市では栽培する者がいなかったシャルドネとメルローという西欧系品種が意外によくでき、小諸市のワイン工場に委託してつくったワインもそれなりの質になってきた。
ワインは、ブドウを潰して搾った果汁を発酵させて置いておく、というだけのシンプルな製法なので、もともとは農家が手づくりするものだ。だから収穫したブドウは遠くまで運ぶことなく、畑の傍ですぐに醸造するのがあたりまえで、それなら自分でワイナリーをつくればもっとよいワインができるだろうと思ったのが、58歳で1億円の借金をすることになった理由である。
12年間で、600坪だったブドウ畑は2万坪(7ヘクタール)にまで広がり、自宅のすぐ前に建てたワイナリーでは現在年間2万本のワインを生産している。日本ワインコンクールで何度も金賞を取るなど評判も上々で、こんどはそれを聞きつけて、自分もこの地域でブドウを栽培してワイナリーをつくりたい、という人たちが、おおぜい集まってくるようになった。
そのほとんどの人が、人生の途中でワインに出会い、これまでのキャリアを捨ててワイン農家になることを決心した、平均40歳の移住者たちである。決心をさせた責任の一片は私にもありそうだから、彼らの挑戦を支援して、独立するまでの「クレイドル(ゆりかご)」の役割を果たそうと思い、官民ファンドや農協などからの投資と農水省の補助金を利用して、彼らがつくるブドウを受け入れてワインにするための新しいワイナリーを建設した。そのために私はまた68歳で1億円の借金をすることになったが、そこを拠点に今春から開講したワインアカデミーでは、現在24名の受講者がブドウ栽培・ワイン醸造・ワイナリー経営を学んでいる。
いま東御市にあるワイナリーは5軒だが、すでにブドウを栽培しながら施設の建設を目標にしている者が20人以上もいて、その上にアカデミーが後に続く挑戦者を輩出する。いずれは「千曲川ワインバレー」と名づけたこの一帯に、20や30の小規模ワイナリーが集積することになるだろう。死ねば生命保険で借金は払えるが、もう少し行く末を見届けるために、長生きしたいと思うようになった。