近年の日本人は、ともかく人口論が大好きである。人口減少問題なら誰にでも直感的に分かることに加えて、日本経済の劣勢を観念的に釈明するのに恰好であることもあるだろう。「地方の集約」や「消費増税」を目指す最近の霞ヶ関の論調も、人口減少と相性が良い。この点では在野の評論家も例外ではなく、人口減少をベースに政策を批判する。こうして世論はこの問題意識を否応なく刷り込まれることになるのである。
しかし、本当にバブル崩壊以降の日本の衰退は人口の減少によるものだったろうか。確かに生産年齢人口は97年から一方的に減った。しかし、逆に言えば、総人口も、労働力人口も、就業人口も経済統計に影響を与えるほどの一方的減少は示していない。生産年齢人口(15〜65歳の人口)が減っても、労働力人口(実際に労働意欲のある人口)や就業人口(働いている人口)が減っていないのだから、経済活動にも所得にも支障はないのである。
それに、今や人口減少に悩む国は日本だけではない。人口減少がデフレや貿易赤字化の原因であると考える人たちもいるが、人口減少期でも、デフレになっていない国や、貿易赤字になっていない国は、過去の例も含めドイツ、北欧などに反例がある。
日本人には人口が経済の最上位の決定要因であるかのような錯覚があるようだが、本来の経済学では資本装備率(機械化)や生産性(能力)の向上も生産を増やすと考えており、人口は一つの変数に過ぎない。むしろ生活環境が改善すれば、次第に子孫が増えていくと言う生物学的ロジックに則れば、人口は最後に決定される究極の従属要因である。
年金問題のように、確かに人口の凹凸が支障を生じさせるケースもある。だが、すべてに悲観的な「人口真理教」が続く限り、企業は日本以外を生産地に選び、子供はますます増えにくくなるだろう。現に、これほど円安が進んでも空洞化はほとんど解消されていない。経営者に聞くと、理由はほとんどが日本の人口減少なのである。
世界ではアップルのようなアイデア企業が、精緻で高品質な生産ができる企業を単なる工場として牛耳るようになっている。為替レートは恣意的に長期にわたってあるべき水準から外れる競争力不均衡を生じさせる。このようなグローバル化の下での企業形態の変化や、国際金融市場の構造的な問題を見ようともせず、内向きな人口論を延々と繰り返しているのが今の日本人ではないか。
好むと好まざるとに関わらず、覇権国家規模の人口と資本と技術水準を有する大きな国である日本が、縮み指向になって小国的、自給自足的な方向に向かうことは、ユートピア論としては面白いものの、現実的ではない。すでに日本の貿易赤字は定着しつつある。内向きな人口論はほどほどにして、もう一度世界を相手にする気概を取り戻して行きたいものだ。