少し前の新聞のコラムに、「世代間協調の不可能性」という話が掲載されていた。これは、世代間をまたがるような超長期の問題を解決することは不可能であるという考え方を紹介したものであった。
例えば、国の財政再建のために、今の時点で、増税をすることで、将来の世代が財政破たんを回避できるというメリットを享受できる一方、現在の世代は、増税というデメリットを甘受するのみで、自分たちには直接の利益はないことになる。こうした意思決定を、現在の世代はなしうるのか。確かに、財政再建のみならず、地球温暖化問題や枯渇することが分かっている資源の利用問題、さらには原発から出てくる使用済み核燃料の問題など、今、世界で問題となっている事柄の多くは、「今の世代はアクションしなくても、今の世代は困らない可能性が高い」が、「今の世代がアクションしないと将来の世代が困ること」である。要は、世代間のゼロサムゲームであり、ただ、単純なゼロサムゲームではないのは、決定権を持っているのは今の世代であり、将来の世代は、その決定に影響力を行使しえないという点である。
この命題が成り立つ前提は、今の世代も、将来の世代も、利己的・合理的な人間であることとされている。しかし、実際には、そこまで利己的・合理的に、「将来の世代はどうなってもいいから、自分がよければいいんだ」と広言できる人が少ない。だからといって、今、痛みを伴うことを実施することは、政治的に難しいことは現実である。その結果が、問題の先送りであり、それによる問題の深刻化である。このような超長期の問題は、時間が経てば経つほど、問題の解決が難しくなる。
さて、この「世代間協調の不可能性」という問題は、どうしたらいいのか。
この問題は、これまで、著名な経済学者や社会学者が取り組んできていて、明確な解がない命題であり、それを私ごときが説得力のある回答を出せるはずはない。
ただ、自分の直感で言えば、広言できないようなことは、何かが正しくない気がする。言い換えれば、やはり、自分が胸を張って言えることを実行していきたいと思う。もちろん、世界の最重要課題全部を自分一人で解決できるわけではないが、「世代間協調の不可能性」に少しでもチャレンジし、自分なりにアクションはしていきたい。
そもそも、上記に挙げたような課題は、今や、超長期というタイムスパンではなくなってきているという危惧もある。少なくとも、多くの問題は、遠い将来の世代の問題ではなく、自分の子供たちの世代には破裂するような問題になりつつあるのではないだろうか。そう考えれば、一層のこと、自分の世代は大丈夫だからといって、今、楽な選択肢を選ぶことは許されない気がしてくる。