司馬遼太郎の、もうほとんど晩年といってもいい頃の著作に「『昭和』という国家」という本がある。これは一九八六年にNHKで放送された「雑談『昭和』への道」という一二回にわたる司馬の語りを書籍にしたものだ。初々しい明治の日本が、なぜ「発想された政策、戦略のすべてがいびつな」「魔法の森」に迷い込み、破局に向かってしまったのか。とつとつと語る司馬の言葉をまとめたものだ。
その中に、昭和の官僚のあり方を評した言葉がある。「国家がどうなるかについての責任を持っていたのかどうか。本当にその人たちは国家を思っていたんでしょうか」「生きている人は長命を全うしたいわけです。せっかく日本という国ができたのだから、いつまでも続いてほしい。そして、地球の人類は何万年先も生きたいわけであります。そういうことについての素朴な感覚を持っていたのでしょうか。持っていませんでしたね」
ずいぶん厳しい処断の言葉だと思う。しかし、これがその時代を生きた司馬の実感だったのだろう。
東日本大震災と福島原発事故の後、国のエネルギー政策をめぐる議論が続いている。特にこの一年間は、エネルギーミックス、電力制度改革、福島原発の事故処理と再稼働、地球温暖化対策などなど、まさしく日本の国のあり方にも直接かかわる重要な問題の議論が、同時並行的にハイテンポで進められてきた。
各種の小委員会、ワーキングなどには事務局の用意する膨大な資料が毎回、提出される。担当する省庁の方々のご苦労は並大抵のものではないだろう。エネルギー政策の提言を任とするNGOとして、関連省庁の方々との意見交換などもやらせてもらってきたので、今日の官僚の方々の中には、まさしく日本の未来を真剣に考え行動している人がいるのも知っている。
にもかかわらず、でき上がった国の報告書や計画の内容は、国民の多くが望む安全で安心なエネルギーへの転換の道に踏み出すことをせず、東日本大震災前のエネルギー政策に回帰するものと言わざるをえない。2030年には、世界の多くの国が電力の4割、5割を自然エネルギーで供給する目標を持っているのに、日本だけは特殊で2割少々しか賄えないという方針だ。この時点で3割近くの電力を石炭・石油発電で供給するというのも、気候変動の危機回避にむけた世界の努力に水を差すものだ。
日本のエネルギー政策は「魔法の森」に迷いこんでしまったのか。昭和の官僚を評した司馬遼太郎の言葉が、あまりに生々しく感じられてしまうのは何故なのだろうか。