平成23年度は、牡鹿半島の海の町、女川の中学校に勤めていた。
何もかも流された町でスタートした新学期。この前まであった建物が跡形もない、笑って声を交わした人も、いない。教師は生徒を励ます仕事なのだが、「頑張れ」なんてとても言えない日々が続いていた。「希望」とか「絆」といった言葉を耳にすることが多かったけれど、そこに生徒たちを、自分自身を、どう向かわせればいいのだろう。
そんな5月、生徒に俳句を作らせようという提案があり、国語科の私が授業を担当することになった。町はまだ瓦礫に埋もれ、家族を亡くした生徒もいる。「素直な気持ちを五七五に」と言われたが、そんなことをしていいのかと、直前まで大いに迷った。
不安は的中しなかった。生徒は、私の説明が終わるやいなや、指を折りながら五・七・五の言葉を紡ぎ始めた。まるで魔法がかかったかのように…。
どんなことを書いているのだろうと机をのぞくと、こんな句が目に飛び込んできた。
見上げれば がれきの上に こいのぼり
瓦礫だらけの町で、下ばっかりむいてちゃダメだと思って顔を上げたら、壊れた建物の上に、誰かがあげた鯉のぼりが泳いでいたという句である。解説も写真もない、たった十七音の文字を並べただけなのに。津波の威力、悲しみ、無力感、希望、…すべて伝わってくる。
故郷を 奪わないでと 手を伸ばす
/見たことない 女川町を 受け止める
ただいまと 聞きたい声が 聞こえない
/複雑な 思いで見つめる 春の海
窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町
/ガンバレと ささやく町の 風の声
海水に ついたスズラン 咲いていた
/今は亡き おばと歩いた 浜の道
5月末、例年より一ヶ月半遅れの授業参観日があって、資料の裏表紙に俳句を掲載した。多くの保護者が泣きながら読んでいた姿が忘れられない。
俳句は字数が限られているので、言葉を吟味することになる。大人でさえ言葉を失うような状況の中で、生徒達は必死に言葉を探した。自分の心を探したのだ。「これだ」という言葉にたどり着いたとき、前へ進める何かが生まれたように思う。
以後、全校句会は半年ごとに行われることになり、私が転勤してからも続いている。風景や心情の移り変わりが感じられ、興味深い。たとえば、震災の一年後、吹奏楽部の生徒がこんな句を詠んだ。
あったかい音のする支援のフルート
あの授業で、悲しみに向き合う大切さを教えられたのは、私自身だったんだと、最近になって気づいた。