どうしてなのか自分でもわからないのですが、私は20数年前から日本と特別な関係にあります。
日本が大好きになったのは、実は偶然の出来事でした。その「根本」は三つの「D」に見いだせると思います。大学時代からどうしても「Different, Difficult,Distant」と感じる文化、つまり日本の文化のことを勉強したくて仕方がなかったのです。しかし、大学に入学していざ勉強を始めてみると日本は異国ではなく母国のように安心感が得られ、自分の前世は日本人ではなかったかと思ったこともあるくらいです!
それ以来、20数年間に渡る日本との大切な関係があったからこそ、3・11の直後、日本の現況を自分の目で確かめるために訪日したのは、極自然の成り行きでした。2011年6月の上旬、久しぶりに東京三菱銀行時代の日本人の同僚とコンタクトがとれ、一緒に気仙沼市本吉のボランティアセンターでわずか二日間ですが、瓦礫撤去の活動をさせていただきました。
生まれて初めてのボランティア活動は衝撃的な体験でした。そこで、東北の復興のため「何か」しなければいけない、それは自分の「使命」(「天命」か?)ではないかと強く感じずにはいられなかったのです。しかし、その「何か」はなんだろう?ずっと心に引っかかったままでした。それが全く分からなかったのです。
その「何か」を探すために、2012年の夏にスペイン外務省の所属機関の仕事をやめて、家を売り払い、3人の子供を母に預けて、3ヶ月間を掛けて全被災地を回りました。その3ヶ月の間に、少しずつ2つのポイントがはっきりと見えるようになってきました。
第一点は、地元の方々の視点と私の視点はずいぶんずれていた、ということ。つまり、外国人の私には東北地方はとても魅力的で、地元の方々の活動は素晴らしいものとしか思えなかったのに、地元の方々にとってそれはあまりにも日常的過ぎて、その価値を理解していなかったこと。
第二点は、長年の間、国際リレーションズを専門とする外国人として世界中を駆け巡ってきた私に出来ることは、東北の中小企業の国際化をサポートし、長期にわたる新しいビジネスチャンスをつくること。それが私に出来る東北への貢献ではないかと分かってきたことです。
そして、2013年の初めにバルセロナで「NPO法人支倉プログラム」を設立しました。このNPOは東北で活動している中小企業、社会起業家、自治体など、地域のリーダーのための国際交流ビジネスプログラムとして企画しました。
支倉プログラムの第1ミッションから1年が経って改善すべきことはたくさんありますが、この活動を実施させていただいて今後も、東北にあるクールジャパンを海外に発信していきたいと思っています。