私は、包丁を抱いた渡り鳥・パーソナル・シェフとして10年あまりを米国と英国で生活をした。ほとんどが大きな町─ロスアンジェルス・ニューヨーク・ロンドン─で、耳障りはいい。しかし、町に住み、朝から晩まで料理を続ける事は、マクロビオティック的生活を夢見て30年あまり前に、日本を後にした私にとっては、本末転倒である。
“全粒穀物を中心に豆、季節の野菜、海藻、胡麻などの種子類、アーモンド等のナッツを頂く事がマクロビオティックだ”というのであれば、町でいいのではないかと言われるかもしれない。が、私の考えるマクロビオティックは、持続循環可能な農業の元に成り立つ、自給自足の出来る共同体である。そう思って、ボストンの久司学院でマクロビオティックを学んだ筈だった。久司学院はマクロビオティックの先生を造る事に重きが置かれていたので、私の理想とはかけ離れていた。ながれながれてアラスカのIONIA(アイオニア www.ionia.org)という共同体にたどり着いたのは、1996年の夏のこと。しかし、定住するに至らず、行ったり来たりを17年。その間にマドンナ(あのポップスターの)の仕事があった訳である。
私のマクロビオティック第一期が久司学院、第二期がマドンナのパーソナル・シェフとすれば、今は第三期。子育ても終わり、自分のやり残した事を思う存分出来る年頃である。
2013年夏、再三のチャレンジ・アラスカ定住にティピ(草原に住んでいたアメリカンインディアンの移動可能な住居。私の使用しているものは、厚手の木綿製である。)で挑戦中。“どうしてアラスカの様な寒いところでティピなのか”と思われるだろう。理由は至って簡単“やってみたいから”である。それで良いとIONIAN(アイオニアン)は言ってくれる。ありがたい。ここの一代目の四家族は、最初の冬をティピで越冬している。それがおよそ25年前の事で、冬はかなり厳しかった筈。私のティピ越冬は、危険ならば母屋に逃げ込める、至って安全な環境である。
ここでの私の仕事は、共同体のメンバーであること。はっきりした基準はない。
強いて言えば、コミュニティー内では、完全穀物菜食である。料理、穀物倉庫作り(その年によって変わる可能性有り)、農作業、朝の全体ミーティング等のアクティビティーに参加する。それ以外は、全く自由である。
温暖化が、ここアラスカでは顕著である。万年雪と言われた氷河は、以前の5倍の速度で後退(融解)が進んでいる。今年の夏は、暖かくて蚊が大量に発生したが、ティピの中では火を炊くので、煙に巻かれるのか、中には入って来ない。夏は終わり、暖かい秋が続いている。1999年の冬は、9月の末に根雪になっていた事を思うとこの暖かさは異様だ。雨が降りすぎて、ティピのなかの私のベッドは、水浸しである。明朝は、やっと氷点下になるらしい。アラスカの冬が始まる。