自分の名前をアルファベットにする時、名字と名前を逆さまにする。岩井俊二は Shunji Iwai である。そんなことは当たり前だと思って疑いもしなかった。英語圏では名字が後に来るものであると習ったからである。ところがアメリカの公式な書類では、名字を先に書く場合が多い。カンマを間につけて、ジョンレノンはレノン,ジョンとする。当たり前だがデータベースとしては名字が先にあってくれた方が便利なのだ。それはアメリカでもしかり。ジョンが最初では、アルファベット順にソートすると、アメリカじゅうのジョンが集まってしまう。住所もしかり。日本は東京都世田谷区上馬四丁目XX番地と続くが、アメリカは上馬通り四丁目XX番地世田谷区東京都、という順に並ぶ。日付も、2013年2月5日を02・05・2013と書く。単に逆というわけでもない。こうなると時系列に並べてみるのも簡単ではなくなる。こんな風にアメリカの表記とか単位はなんとも不合理なことが多い。メートル法の導入に失敗した国であるのも頷ける。現地に住むとこういうどうもいい加減にしか見えない表記や単位に次々出会う。合理的なはずのお国柄だが、この点だけは弱点としか言いようがない。そんなアメリカで過ごしていたある日、南カリフォルニア大学の講演に招かれた。ポスターに自分の名前がある。「Iwai Shunji」と書いてある。どうしてShunji Iwai じゃないのかと尋ねると、だってあなたはShunji Iwaiじゃなくて、Iwai Shunji でしょ?と返事が返ってきた。もの凄く合点がいって、それ以来Shunji Iwai という表記を廃止し、Iwai Shunji という表記に変えることにした。アメリカのわけのわからない習慣に合わせて自分の名前をひっくり返しておく必要はないと思えたのである。オリンピックバンクーバー大会のフィギュアスケートは日本勢が惜しくもキムヨナを越えられなかったが、日本人選手の登
録名はみな当然のように姓名をひっくり返していたが、キムヨナはキムヨナだった。解説者が「この子どっちキムヨナ?ヨナキム?」と混乱していたくらいだ。名前をひっくり返さなかったから優勝したわけでもないだろうが、ヨナキムと軽々しくひっくり返さない、我は我なり、という気持ちの強さが最後の最後で影響しなかっただろうかとも思うのだ。ちなみに最近の国際映画祭では、IWAI Shunjiという表記をよく見かける。姓は全部大文字、名は頭だけ大文字、という表現。これで姓が前でも後でも識別できる。こんなスタイルも普及し始めている。迂闊に姓名ひっくり返す前に、まずは自分の国は姓が前、という認識を世界の人に知ってもらう方がよっぽどいい。二一世紀のアジアのためにも、と言ったら大袈裟だろうか。