落語は料理と似ている。
「ラーメン」が好きな人がいれば、「何処の(誰の)」作る物が一番美味しいか、出合いを求めて食べ歩きをする。「文七元結」が好きな人がいれば、「どの落語家がやる」その噺が一番面白いか、出合いを求めて聞き比べをする。という感じで、良く似ている。
落語家は一人で全てを演じるエンターテイナーです。でも主役ではない、というのが私の考え方。落語家は言ってみればシェフです。その日の落語をお客様の目の前で料理する。食べるお客様が主役です。お客様の満足がその日の成功ということになる。今 言っててとても恐ろしい。自分で決められないんです。良いとか悪いとかお客様がジャッジを下す!でも本当にそうでしょう?他人から「面白いだろこの落語!」と言われても自分の感性に合わなければ どうにもならない。「美味しいだろ!」と押し付けられても自分の舌が判断をする。その場で「美味しいです」と気を使って言ってみても自分からは二度とその店には足を運ばないでしょう。そういう商売ですね。過酷にもなれば、チャレンジとも取れる。日によってどちらに転ぶか自分でも予測がつかない。だから“ 開き直る ”というのがこの世界に身を置く常套手段!
演ってる最中もそうですが、終わった後 お客様がニコニコしている。これはいいですね!終わった後 ムッツリしているのは、どう解釈しても失敗ですね。まぁシェフとしては、具材は自分の中にある経験、知識、思い。これらを料理するわけですが、やはり、新鮮さは大事でしょ?毎回 新鮮な気持ちで喋る。ここは一つのテクニックかも知れません。馴れ合いで喋っていると、お客様が食当たりをおこすかも知れない。毎回、はじめて喋る心持ち。師匠であり祖父である五代目柳家小さんが教えてくれたことです。
料理には昔ながらのお馴染みの味、そして創作料理といえる今までにない新しい味を楽しむという二つの味わいがある。落語も同じで、古典と言われる江戸から続くものと、現代を語る新作落語があり、古典しか演らない落語家、新作しか演らない落語家、そしてどっちも演りますという落語家がいる。因みに私は両方演るタイプです。私の場合はそれだけでなく、演劇、テレビドラマ、ナレーター、司会、ピアノやウクレレ演奏など何でも演ってるが気をつけなくちゃいけないことは、器用貧乏という言葉があるように、色んな事を演りすぎて一つもモノにならないということ。
でも、私が信じている生き方は「ラーメンしか食べないラーメン屋は信じるな」という言葉で、世の中にこんなに食べ物があるんだから、色んな物を食べた上でラーメンの味も定まる。本当の味を知ってる料理人になるという話。世界には沢山の娯楽がある、その中の一つとして本当にお客様に喜んでいただけるモノを演りたいなぁ〜。
ゆるゆると真剣に!力まず、でも思いを込めて参りましょう!