4年に一度、地球上最大のスポーツイベント(今回は205の国と地域が参加予定)の開会式7月27日まで、あと数日である。三度目のロンドンでのオリンピック開催、しかし日本選手団は三度目にして初参加である。第4回1908年は日本オリンピック委員会がまだ設立されておらず、第14回1948年は第二次世界大戦の敗戦国としてドイツ、日本は招待されなかった背景がある。
今回のロンドン大会は日本が1912年ストックホルム大会の初参加から丁度一〇〇年目にあたり、26競技、302種目(いわゆる302個の金メダル)が実施される。競技種目により組織委員会に選手登録(エントリー)される中で補欠で仮の代表選手、またエントリーはされないが登録の締切りまで補欠として位置づけられる選手(例 男女マラソン)、競技によっては選手登録され晴れて代表選手団入りしても、コート上やピッチに立てない、ある意味ベンチ入りだけで試合に出場しない場合もある。
コーチ、監督も選手のこれまでの成績、経験をかうか、勢いを優先するか大いに悩むケースがある。選手にとっては出発前に、地元や所属先、各競技団体で壮行会や激励会を開いてもらったものの、実際には試合には出られず、文字通り補欠のまま閉会式をむかえ日本に帰国する選手が何人か存在する。地元からの期待や、競技生活をサポートしてくれた家族。本人は血のにじむ様な厳しい練習に耐え代表選手の座を射止めたのに、試合に出られずに終わる。心中を察すると、「このままでは日本に帰れません」と顔を曇らせている選手に心が痛む。しかしたとえ補欠であっても代表選手やオリンピック候補選手になるだけでも大変な名誉であり、挑戦したことに堂々と誇りを持って欲しい。究極は試合に出場し金メダルを獲得できれば最高の結果であるが、4年に一度のオリンピックは個々の選手のバイオリズム、ベストな心技体が一致して結果が残せるだけに、このピーク、リズムを合わせる事は大変なことである。
各選手は各競技の世界選手権、W杯大会などの延長線上にオリンピックを位置づけている。その上、日本人は島国で単一民族からなのか昔から藩の為、お国の為と日の丸をつけて出場すると、応援する方も戦う選手達も熱く心を揺さぶられる。確かに、オリンピック選手と言う肩書きや、タイトルは何かにつけてその後の人生に大きく貢献してくれる。特にメダリストとなれば尚更である。第9回1928年アムステルダム大会で日本人初の金メダリスト(男子三段飛び)織田幹雄選手から、2008年北京大会までの合計で日本人選手は123個の金メダルを獲得。どの選手が124個目の金メダリストになるか楽しみである。しかしこのメダルは日本国内予選で大いにしのぎを削った選手、今回は残念ながら補欠にまわった選手のお陰である。これらすべてのサポートによる結果として、オリンピックにおいての勝利、メダルにつながったことを胸に刻んで欲しい。
スポーツは人間が成長していく上で、大切な事を教えてくれ、人間にとって欠かすことの出来ないものであると、確信している。オリンピックは国境を越え人種を越え宗教を越え、平和運動のシンボルとしての意義を確認し、オリンピックに関わり挑戦した全ての選手に敬意を表し、今回も多くの人々に勇気と感動を与える、スポーツの力を信じる。
ガンバレ、ニッポン。