五歳の頃、大きなピアノが家に届いた時から私の音楽人生が始まりました。
基本教科がクラシックだった事もあって小さかった私は難しい課題も多く、先生に導かれるまま教わっていましたが今になって考えると、学んだ旋律の数々は自分にとって本当に大きな影響を与えてくれました。
高校の時にオーディションを経てデビューが決まり、最初の仕事はロサンゼルスでのレコーディング。デビューアルバムを海外でレコーディングする例はあまりなかった時代だったので緊張もありましたが、ロスは日本では体験出来ない音楽の世界がありました。
直に触れたアメリカの文化とミュージックシーンは自分のスタート地点だけではなく、新しい文化を芽生えさせてくれた場でもあります。
デビュー前はポールモーリア等、ピアノメロディー曲をよくコピーしていましたが、日本で育んだ音楽と別のフィールドで得た音楽を一緒に生かす事は出来ないかと思ったのもこの時からでした。
ニューミュージックというジャンルが日本の音楽市場に浸透し始めた頃、まだ歌謡曲が全盛の時代だったのでデビュー当時は自分の音楽を別の世界で挑戦させるような気持ちで仕事をしていましたが、今も杏里サウンドとして私の曲を聴いて下さっているファンの方々には本当に感謝の気持ちで一杯です。
今のJ-POPシーンは私のデビュー当時からは比較にならないほど様々なジャンルの音楽がヒット曲としてリスナーに受け入れられています。
どの分野においても挑戦する事は容易ではないかも知れませんが、今に甘んじて時代に追従するだけではなく、それぞれのアーティストやスタッフが自分の可能性を信じてトライした結果、私達は素晴らしい音楽に巡り会えて人の心に届けられるのだと思います。
音楽市場は作品に限らずに時を追う毎に様々な変化を繰り広げています。
特にハード面が変わってきたと実感したのは90年代初め頃。
シングルのアナログジャケットよりも小さいパッケージになったCDアルバムから始まり、その後は皆さんもご承知のように現在の流通市場は音楽配信を初め、多種多様なデジタルツールが世界規模で進化を続けています。
デジタルの発展は私達の社会に大きな恩恵と大切な役割を担い続けています。一方で古いものが技術革新によって淘汰される事は避けられませんが、人のための発展であれば大切な物を置き去りにする事なく、心から私達が豊かに感じられる進化であって欲しいと願っております。
最後に、東日本大震災は私にとっても言葉に尽くせない程の悲しい出来事でした。この夏、私も仙台で開催されたイベントに参加させて頂きましたが、皆さんが強い心で現実と向き合う姿に、改めて自分の生き方を問う機会を与えて頂きました。今後も震災によって心を痛めておられる方々に、少しでも和らぐお手伝いを私自身のライフワークの一つとして音楽活動と共に歩んで行きたいと思っております。