「今年の京都への観光客が五千万人突破!」というニュースが流れることがあります。
五千万人、大変な数です。およそ日本人の二人に一人は、一年に一度京都を訪れている計算です。京都の魅力の大きさを再確認させられることはもちろんですが、私はこのニュースが流れるたびに何か不思議な気持ちに襲われます。みなさん京都へ何をしに行くのでしょう?
伝統ある寺院、昔ながらの町屋、京料理、舞妓さん、そして四季折々の桜、若葉、紅葉。「日本っていいわね」「日本人に生まれて良かった」そんなことを再確認しに京都を訪れるのでしょう。その反面、都会では再開発という名目で古い街並みが失われ、畳のある家や、きものを着る人もどんどん減り続けています。
日本の伝統的な民族着のきものは、このわずか25年の間に80%も売り上げが落ちています。それだけきもの離れが進み、日本人がきものを着なくなっているのです。
それでも京都へ出かけて、舞妓さんのきもの姿を見てみたい。旅館の畳にふれて「やっぱり畳っていいわね、日本人よね」と足を伸ばす…。
自分の身の回りでは日本的な生活を自ら進んで捨てておきながら、他方では旅行に出かけて日本の良さを再確認する。これってなんか変だな、と思うのは私だけなのでしょうか。
いうまでもなくきものも、畳も、そしてわれわれの歌舞伎も、能も、文楽も、日本人が大切にしてきた、日本固有の文化です。日本から姿を消すことになれば、地球から姿を消すことになります。
その文化を、もし「自分はやらないけれども、誰かがやってくれていればいい」と考えているならば、それはなにかが違うと思うのです。
イギリスの方にシェークスピアのことを、ドイツの方にベートーベンのことを質問して、何も答えが返ってこなかったとしたら、私たちは大いに失望すると思います。では反対の質問を日本人が受けたとしたら…、どれだけ明確な答えを出せる日本人がいるのでしょう?
文化は誰かが守るものではありません。皆で守っていくものです。特別保護区のように京都と奈良だけに押しつけて、自分たちは無縁のところにいる、というのはどこか間違っていると感じるのです。
機会は少なくてもいい、たとえば一年に一度でもいい、あなた自身がきものをお召しになってみる、ご夫婦で観劇に出かけてみる、畳の部屋でお茶をいただく。そうした皆さんの生活の中にあってこそ、本当の意味での文化の継承といえるのではないでしょうか。
日本国の文化予算は総予算のわずか0.11%。これも何とかしなければいけません。しかし私はその前に、皆さんのひとつひとつの小さな行動こそが、かけがえのない日本の文化を守る、大きな鍵を握っているのではないかと考えているのです。