世の中は不況であえいでいる。仕事がない、大学生の就職先がない、子供を育てられない、親の介護が出来ない、ナイナイづくしである。
昔も同じ様に不況の時代はあったはずで、その時にこんなにも、「出来ない出来ない」と大声で言う人がいたか疑問である。みんなそれなりに「仕方がない、なんとか自分達で解決しよう」と考えながらやってきたはずである。なのに急に、政治が悪い、企業が悪い、地域行政が悪いと、全てを他人のせいにしてしまうこの傾向はいつ頃から始まったのか。バブルがはじけて20年、日本中が中流意識の中で、安心して暮らしていたのが、ある日突然、格差が問題だと誰かが言いだした。マスコミが大きく取り上げ格差是正をしなければ、この国は、ダメになるとキャンペーンを張り出した。競争社会は良くない、競争の結果、格差を生むのだ、地方と都市との格差、「格差極悪論」になってしまった。その結果、この格差は国が是正すべきで、国が行った規制緩和がもたらした悪と決めつけ、逆に規制を強化して、既得権益を守ろうとの方向転換になった。やろうと思えば仕事はたくさんあるのに、年末に派遣村を作って、いつの間にか企業にだまされた可哀そうな人々がいるのだとはやし立てたその結果、炊き出しに集まった人達はどこかへ散ってしまった。あれはなんだったのだろう。
戦後の焼け跡以来見た事のない光景をつくり出す事で、これほどひどい国になったとピーアールしたかったのか不思議でしょうがない。なんのための報道だったのか。社会現象として、なまくらな人達が増加した世の中とでも報道すれば価値があったのではないかと思う。
日本人は甘やかされている。自己責任という言葉を使うと、極悪人呼ばわりされる日本。可哀そうな人々、助けを待っている人々がたくさんいて、誰も悪くない、悪いのは世の中、と甘い言葉をくり返している今の政権。子供手当て、農家の戸別保障など何でもバラマキで、選挙目あての“公的買収”と言われても、仕方がない。こんな事をくり返していると日本人を弱くしてしまう。自立、自助を促し、それからどうしても一人で自立出来ない事情のある人には公助が必要であると思うが、今は先に公助が来てしまう。生活保護を受給している人が増えていくと、何か受給しないと損をするという風潮がある。しかし昔の人達はお上だけには面倒を見てもらいたくないという「矜持」があった。今は「矜持」という言葉も死語になりつつある。
なぜこんなにも日本人が弱くなり、他人のせいにしたり、自己中心的な人間が多くなったのか。戦後60年の教育のせいか、社会全体がお金を中心とした価値感で作られてしまったからか。日本の課題は、この様な一人一人の日本人を再生することだ。海外に出たがらない若者たち、子供を虐待する母親、父親、何か変質してしまった日本人をどう変えていくか。グローバル化の社会の中で生きるためにも本当に自立した一個の大人としての日本人を作り出す事が急務であると考える。