東南アジアの小国、カンボジア。首都プノンペンから車に揺られて3時間、ポーサット州の荒野に惚然として「夢追う子どもたちの家」が姿をあらわした。
私は縁あってカンボジア、ネパールで小中学校を建設するボランティア活動を行っている。多くの方の賛同を得て、いま140校を超えるまでになってきた。
そんななか、2008年に完成したのが「夢追う子どもたちの家」だ。孤児院を建設することは孤児たちの親になることと同じ。学校を作るのとはわけが違う。彼らの人生を背負わなければならない。しかし、私は踏み切らざるを得なかった。一日中ゴミの山でゴミを漁る子どもの姿が私を突き動かした。
あれから二年が過ぎた。今では77人の子どもたちの声が響いている。
今年の秋、嬉しいことがあった。18歳のスレイノーイが高校受験に合格したのだ。朝四時に起きて自習をしていた。一日の勉強時間は10時間を超えたと聞く。
彼女の夢は「夢追う子どもたちの家」で働き、カンボジアの子どもたちを助けること。
10万人の孤児がいるカンボジアで77人という数は微々たるものだ。しかし、大海の一滴でもあった方がいい。小さな種は蒔けば必ず芽を出す。
そもそも、なぜこのような孤児が生まれてしまったのか。
1970年代に起こった内戦に起因する。ポルポト政権下では数百万人の国民が死に追いやられたという。以来30年以上経っても、傷痕は消えない。
国の指導者が道を誤るとどうなるか。カンボジアに行く度に、私の心は震える。
一方、欧州の小国オランダで思わぬ出会いがあった。デニーおばあちゃん、91歳。おばあちゃんは通常の年金だけで生活している。年金は月に13万〜14万円という。
おばあちゃんは、日本の基準で言うならば要介護2〜3であろうか。10万円の介護保険がもらえる。ところがおばあちゃんは、介護保険はもらっていない。
聞いてみた。「なぜ、10万円をもらわないの?」。おばあちゃんは答えた。「年金の13万円があれば十分。自分が介護保険をもらわなければ、国がちゃんと使ってくれる」。
私は言葉を失った。91歳の老婦人は国を、政治を信じ切っているのだ。自分が介護保険をもらわなければ、もっと国が有効な使い方をしてくれる、と。
このような感覚が今の日本にあるだろうか。今の日本に欠けているのはこの「信」ではないかと思う。国民が政治家を信じる、政治家が国民を信じる。そのお互いの「信」があってこそ、真の政治が成り立つ。まさに「信なくば、たたず」だ。
デニーおばあちゃんは帰途に就く私に言葉をプレゼントしてくれた。「人間だから政治家も間違うことがある。でも、その時には、次に正しい政治家を選べばいいのよ」。