私は今から36年前の1974にアフラックを創業、日本で最初にがん保険の販売を開始した。まだ35歳と若かったことから副社長に就き、11年務めたあと、46歳で社長に就任した。就任する1ヶ月前にアメリカ本社の創業者に訊ねられたことがある。
「社長として大切な仕事は何だと思うか?」。素直に答えた。「利益を出して本社に送金すること」。ところが返ってきた答えは違っていた。「次のリーダーを選ぶこと」だと言うのだ。
これには本当に驚いた。私はまだ社長にもなっていないのである。社長に就任する前に引導を渡された思いだったが、後にこの言葉を実感することとなった。
話は遡るが、私がアフラックを創業したとき、「企業は永遠に続かなければいけない」という意識を持った。「企業は誰のものか」と考えたときに、もちろん自分のものでないことは分かっている。お客様のものと確信したからだ。そこから自然と「企業は永遠であるべき」という哲学を持つようになったのである。
人間をはじめとして、生きとし生けるものは皆、いずれ死を迎えなければならない宿命をもってこの世に生を受ける。企業にも人間と同じように「企業の一生」というものがある。「誕生期」「少年期」「青年期」「成熟期」「衰退期」とほぼ人間と同じような一生をたどる。
しかしながら、企業の一生が人間の一生と違うのは、人間はいずれ死を迎えても、企業には衰退することはあっても消滅することは許されないのだ。企業の経営者には滅びさせてはいけないとの一心で努力し、そして永遠に存続させる責任がある。
昨今、我が国ではお客様がないがしろにされ、「ごまかし」「偽」「嘘」「見栄」が蔓延した偽装列島になっているきらいがある。いや、日本ばかりではあるまい。世界中のあちこちで生活者が大きく欺かれ、大きな経済問題、社会問題になっていることが多い。
ときには健康被害まで引き起こすこともあるから事は重大だ。そしてそれらの問題を引き起こした企業のなれの果ては言うまでもない。市場からの退場を余儀なくされる。このようなモラル意識のなさ、責任意識を欠いたリーダーに率いられては、企業はひとたまりもない。まさに企業の自殺行為と言える。この時代、企業は以前にも増して社会的責任というものが強く求められている。
我が国資本主義の父といわれる渋沢栄一翁。ご存知のように、幕末から昭和六年に亡くなるまで活躍をされ、「私利を追わず公益を図る」という考えを生涯に渡って貫き通し、彼の後継者にまでその思想を徹底し、公共への奉仕を実践した。今の日本の基盤を作った昔のリーダーたちは、みな高潔で偉大であった。学ぶところは本当に多い。
さて、話ははじめに戻るが、リーダーの仕事は「次のリーダーを選ぶこと」と実感したと申しあげた。永遠に存続する企業であるためには、リミットレス・リーダーシップが必要なのである。そして、その一番重要なことであり、難しいことは次のリーダーを選び、バトンタッチするタイミングを選ぶことであることは言うまでもない。私もこれに習い、46歳で就任した社長を九年間務めて交代した。
現在、いろいろな場面で目にする失敗例。企業に限らず政界、学問の世界、その他の世界でもうまくバトンタッチができているとは限らない。数えあげればきりがない。
企業を永遠に生かすのは本当に苦労の多いことであるが、永遠に存続させ繁栄させるのも、また消滅させるのも、リスクを背負い奮闘するリーダーにかかっている。
人生と同じように、充実した企業の一生を実現するためには、モラルに敏感で、責任感に満ちたリーダーがこの時代、特に必要だ。