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リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2010. 3.  RIETI  LETTER
マーケター諸君!顔画像と経歴




三菱鉛筆株式会社 代表取締役社長 数原 英一郎

 私たちの会社は創業明治20年。今年124年目を迎えるのだが、筆記具産業自体が大変歴史のある産業なので100年の歴史のある会社は世界で珍しくはない。ボールペンやサインペンは戦後に開発された製品だが、筆記具では鉛筆が古く、その起源は一六世紀後半のイギリスまで遡る。偶然に良質の黒鉛が発見され、この黒鉛を細く筆状に削って板で挟み、糸で巻いて筆記具としたものが始まりだ。最初に黒鉛が発見された鉱山の跡は今でも残っており、危険を冒して地中にもぐって黒鉛塊を求めた当時の人の姿を今でも想像できる。

 余談だが、鉛筆を舐めると体に悪いというのは完全な偏見だ。黒鉛は炭素の結晶であり、鉛ではない。だが、黒鉛が発見された当時の人は見た目が黒光りしているので鉛だと思い込んでいたのかもしれない。英語で鉛筆の芯は鉛と同じLead と表記し、鉛筆製造で歴史のあるドイツにおいて鉛筆はBleistift と記す。ドイツ語で鉛はBlei 、stift は筆なので、日本語の鉛筆は完全なる直訳だ。その鉛筆が日本に渡ってきたのは50年ほど後の17世紀前半らしい。久能山東照宮に徳川家康の所持品として海外から献上された鉛筆が残っている。

RIETI LETTER 表紙画像

 鉛筆は世に出てから50年という歳月をもって、遥々海を越えて英国から日本へとたどり着いたのだが、私は結構短い時間で日本にやってきたと考える。ほぼ同時代の宣教師フランシスコ・ザビエルはリスボンを出航しインドのゴアに到着した後マラッカを経由して鹿児島に到着したが、その行程は直行したとすると約500日だ。現在ヨーロッパから日本へ航空機で直行するとその所要時間は約0.5日だから、この400年で移動時間の速度は1000倍になった。そのように考えてみると、現在の時間では英国で発売後20日弱で日本の有力者にプレゼントとして届けられたことと同じことになる。

 徳川家康より少し若い伊達政宗の墓所からもよく似た鉛筆が発見されたが、これはどうやら国産品のようだ。あくまでも私の想像なのだが、舶来品を見て羨ましく思った政宗が家来に命じて作らせたのだろう。当時は鉛筆が如何に魅力があり、世間でも目立った新製品だったと思われる。黒鉛鉱山が枯渇すると黒鉛粉と粘土を焼き固める現在の製法に到達する。固体筆記具は液体と違って容易に持ち運べ、また、様々な場所で伝達をしたり記録をとるなどの作業にもインクや毛筆と比べ格段に便利なことから重宝されたのだろう。ナポレオンの馬上姿には胸に鉛筆らしきものをぶら下げているものもあるが、戦場などで部下に指示をするのに便利だったに違いない。

 筆記具は人間の脳の中にある情報を表出させる道具として発展してきた。人間の感覚の鋭さは紙面の湿度の違いによってもその差を認知してしまうほどだから驚くものがある。筆記具は誰でも書き味の善し悪しが容易につく結果、その書き味や機能をより良くするという方向で進化してきた。近頃、作家の先生方はパソコンで書かれる方も多いと聞くが、以前は主に万年筆派と鉛筆派に分かれていた。鉛筆派の先生方は御自分のお気に入りのブランドの特定の硬度で作品を書かれていて、それが無いと作品の筆が進まないという話を直接有名作家の先生から伺い、大いに責任を痛感した。

 長い歴史のある筆記具であるが、もう全てやりつくしたと思っていても未だに新製品が生まれてくるのだから人間の創造性は無限だ。余り知られてはいないが、日本は筆記具開発大国でボールペン以降戦後の全ての新製品は日本で生まれて世界に伝播している。しかし、いまの世の中は目先のお金儲けに目が行きがちで短期の成果を求め、腰を落ち着けた技術開発に対して積極的ではない傾向が感じられる。誰かが付加価値創造を手がけなければ筆記具市場が縮小してしまうと考え一生懸命に新製品開発に取り組んでいる。



次号は、富士急行(株)代表取締役社長、堀内光一郎氏にお願いします。
リレーエッセイ 「長く愛される製品開発を」  (リーチレター 2010年3月号)  三菱鉛筆株式会社 代表取締役社長  数原 英一郎

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