人には、色々な趣味があると思う。ある友人は、写真に凝っていて、毎年、飛行機ショーの写真を撮りにアメリカに行き、撮影したプロ顔負けの写真をカレンダーにして、毎年送って下さる。ある人はゴルフ、週二回は必ずコースに出て、シングルプレイヤーになるのが夢という。
私はどちらかというとアウトドア志向でなく、インドアというか、伝統的な日本文化が好みで、歌舞伎には毎月必ず一度は見物に行く。日本舞踊を習っていて、週二回のお稽古に休まずに行く事は、非常に難しい。お稽古前に宴席があると、お酒は飲めないし、少しでも飲んでいくと、足元がしっかりしない上に踊りが頭の中に入らない。お稽古をしている時間が無駄になるし、先生にとても失礼になってしまう。如何に時間を作るか。趣味は続けないと面白くないと思うし、面白いから続くのかも知れない。自分が好きだから、どんなに忙しくても疲れていてもその場に行くと気持ちがシャンとする。
踊りのほかに茶道を永年にわたってお稽古している。最近、お茶の先生が、96歳というご高齢のためお休みになってしまったが、以前は、週に必ず一回はお稽古に通っていた。茶道の面白みは、奥の深さだと思う。建築、焼物、塗り物、書道、歴史、あらゆるものに精通していないと本質が理解できないし、本当に楽しむには相当な時間がかかる。お茶の先生がおっしゃる「私はまだまだ習うことが沢山ある、貴女達も一つ一つ丁寧に覚えて下さい。」この言葉の重み。
年に2回位、自宅で茶事を催す事がある。未熟な私が茶事にチャレンジする度に、準備にかける時間、道具の取り合わせ、季節によって、特別な意味合いを持たせるか、茶事のコンセプトを決めるのに時間がかかる。コンセプトが決まると、釜は、茶碗は、茶入れは、棗は、茶杓は、そして一番大切なのは軸である。寄付きに掛ける軸よりも、本席に掛ける軸で一つのコンセプトが決定する。
軸は、何にしようか。春夏秋冬、いらっしゃる方々の趣向で悩みは尽きないが、それがまた、茶の楽しみの一つなのかも知れない。お客様に心から喜んでいただける、一座建立と言って、いらした方々が皆様初対面の方々であっても、和やかな一時をお茶を通じて親しくお話が交わされる。それによってお互いの刺激にもなり、勉強にもなる。
数百年前に千利休が一つの型として作られた陀茶の精神、心から人様をおもてなす。物ではなく、一つ一つ型にどう込めて相手に伝えるのか。コミュニケーション能力といえば簡単だが、それと自然の草花で、土で焼いた茶碗で、竹の茶杓で、一つ一つ相手の気持ちを如何に大切に、そして和やかな雰囲気を作り出す事によって、一服のお茶で幸福を感じていただく。
私にはまだその境地、力もないが、日常の一つ一つの仕事においても、友人付き合いにおいても、一期一会の茶の精神を大切にしたいと思いながら、趣味を奥深いものにしようと日々努力している。