今回の金融危機は、図らずも日本という国を見直す良い機会となった。このところ話題となっていた「日本経済の競争力の低下」、「フラット化するグローバル経済の中での日本的経営の見直し」といった日本及び日本企業のあり方に関する議論を、市場絶対主義に対する批判も含めて、新しい視点から考え直す機会となった。
日本でのこうした議論は、どうも両極端に触れる傾向があり、今回の金融危機に関する一般のメディア報道でも、気になることが二点ある。
一点目は、市場主義経済モデルに対する極端に否定的な論調である。「アメリカの市場主義は崩壊した」とモデル自体を完全否定し、「やはり、日本の今までの経済モデルの方がよい」という極端な日本回帰論が出ているように思う。また、「日本の金融機関は金融工学に走らなかったので、影響が少なくて済んだ」という論調も見られる。確かに日本の「アメリカ一辺倒」的発想が是正されるのは良いことだが、経済モデルと言うものはどれも万能ではなく、必ず行き過ぎが問題を生む。行き過ぎが起こるのは、運用する人間の問題が多いのだが、極端にモデル自体を否定し、日本モデルを回顧する論調が多いのが気になる。
この論調が危険なのは、回帰論が過ぎると、日本の現状を是とすることとなり、対応すべき問題から目をそらしてしまうからだ。これと同様の揺り戻しが、コーポレート・ガバナンスの議論の時にも起きた。エンロンの問題が起こるやいなや、「だからアメリカ追随でなく、日本のモデルのままでよい」という論調が増えた。完璧なモデルは存在しない。日本モデルの長所の見直しは重要なことだが、改革のスピードの遅さ等の短所もあることは忘れてはならない。
二点目の懸念は、そうした議論の中で、日本が対応を迫られている「フラット化するグローバル経済への対応能力の不足、それに対する主体的かつ前向きな方策」の議論が下火になってしまったことである。
日本人はリスク、変化「チェインジ」を嫌う国民であると言われる。横並びを好み、先鞭をつけることを躊躇する。そのため「チェインジ」を起こすには外の力を借りることが多かった。80年代の貿易摩擦の頃にはアメリカの「外圧」を、90年代には外国人経営者を「変革者(チェインジ・エージェント)」として変革を起こしてきたと言えよう。「言われるから仕方なく変わる」という外圧による変化は自己責任の回避となる。そして、問題が起これば、「人のせい」という言い訳になる。現在の日本が「言われて仕方なく変わろうとしていた」ところに今回の危機が起こり、「市場モデルは良くない。だから変わる必要がない」という揺り戻しが来ているとするとかなり深刻な問題である。
日本が変化を拒絶している間に、世界は急激に変化している。今回の金融危機の波及スピードの速さは、2000年のドットコムバブル崩壊時の比ではない。即日に世界が影響を受けた。その結果、各国で自国保護のために垣根作りの傾向が出てきているようだが、ITによるグローバル化は止めることはできない。そうした環境の中で、守りの姿勢のままでいると景気が回復した時には、日本は世界から「取り残されている」ことにならないかと心配している。