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リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2009. 5.  RIETI  LETTER
専攻科目は何ですか?顔画像と経歴




慶應義塾大学大学院商学研究科教授
柏木 茂雄

 1970年春、私を含む慶應義塾大学の学生12名が短期交換留学生としてスタンフォード大学で学ぶためサンフランシスコ空港に降り立った。優しい笑顔で迎えてくれた人々の中にグレン・S・フクシマがいた。40年近い付き合いの始まりだった。

 スタンフォードでの2ヶ月半は全てが新鮮で、その後の人生にとって決定的な影響を与えることとなった。多くの人に接し新しいことを吸収したいが、初対面の人に英語で話しかけるのは大変な勇気が必要だ。そこで基本的質問を幾つか用意してみた。その一つが「あなたの専攻科目は何ですか?」という単純な問。

 それに対する答えがその後、私がアメリカに抱くイメージを作ることになる。経済、政治、文学など単純な答を予想していたが、結果は結構複雑だった。例えば、「入学当初は歴史を勉強したいと思ったが、その後、政治に興味を持ち、結局今は経済学を勉強中」というもの。大学入学後、専攻科目の変更が自由であり、かつ当たり前に扱われているのは衝撃的だった。逆に「君は?」と聞かれて、日本では入学時に決めた分野をその後変更することは稀であると説明すると、「何故?」と吃驚されること自体が驚きだった。

 日本では何故18歳で進路を決めさせてしまうのだろうか?若いうちに多様な考えに接することを通して各自の興味と関心が変化することに対して何故寛容でないのか?当時、自分自身はアメリカ的自由の恩恵に浴することは出来ないものの、将来、自分の子供の世代になれば日本も変わるだろうと思った。残念ながら既に私の子供達は日本の大学を卒業しているが、基本的な仕組みは昔と変わっていない。 RIETI LETTER 表紙画像

 進路変更に対する消極姿勢は大学卒業後も続く。私は慶応卒業後大蔵省(現財務省)に入省、その後様々なポストを経験したものの退官するまで34年間同じ職場に籍を置いた。一方、グレンはスタンフォード卒業後、ハーバード大学院で地域研究、社会学博士課程、ビジネススクール、ロースクールと渡り歩き、毎年変化する彼の興味と関心に追い付いていくのが大変だった。結局、彼が法律事務所勤務を経てUSTRに就職したのは私が公務員生活を10年以上経験した後であり、その後も彼の華麗な転身は続いている。

 日米間の違いは何が原因で、何をもたらしているのだろうか?最近は日本でも大学卒業時に決めた路線の変更は比較的自由になってきたが、18歳で決めた路線の変更はまだ難しいようだ。将来、私の孫達が大学に進学した時、そのような選択の自由が認められているかどうか気がかりだ。そうでないとグローバルに通用する視野の広い人材の育成は難しくなる。

 1971年春、今度はグレンが慶應義塾大学で長期交換留学生として学ぶため羽田空港に降り立った。友人と迎えに行ったところ、もう一人美しい女性が彼を迎えに来ていた。その方にバトンをお渡ししたい。



次号は、コーン・フェリー・インターナショナル(株)日本担当社長、橘・フクシマ・咲江氏にお願いします。
リレーエッセイ 「専攻科目は何ですか?」  (リーチレター 2009年5月号)  慶應義塾大学大学院商学研究科教授  柏木 茂雄

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