リーダーに求められる重要な資質に、人間力、とりわけ社会性と人間性があげられるが、そうした資質を育むのは「人に感謝できる力」だと、私は考える。しかしながら、現代社会において私たちは、この感謝できる力を急速に失っているのではないか。そんな強い危惧がある。
私たちは、多くの人に支えられ生かされ、社会の中で生活を営んでいる。人の上に立ち、苦難を共にする仲間があって初めて物事を為しうる組織のリーダーは、尚更だ。この「支えられ生かされている」という意識が顕在化されたとき、私たちは「ありがとう」という言葉を口にする。そして、この言葉を繰り返しながら、他人への敬意と、仲間、所属組織、社会に対して責任を引き受ける意志を育んでいく。だから、感謝する心、感謝できる力こそが、リーダーにとって、自分を磨き人間力を育む原動力となる。
では私たちは、感謝できる力を日々育めているのだろうか。朝、電車に揺られ、時間どおり無事通勤できるのは、駅員、運転手、車掌など、安全運行に心血を注ぐ多くの人々の努力の賜物だが、感謝は格別感じない。運賃は払っているし、日本では時間どおりのスケジュール運行は当然だ。オフィスに到着すると、スタッフがすでに仕事を始めている。考えてみれば職場で働くまでは赤の他人だったのに、いまは自分の分身のようだ。でも、始業時間から仕事を始めるのも、そして上司の指示に従うのも、組織のルールであり、何の違和感もない。疲れて自宅に帰り着く。家族が用意してくれた夕食を取る。新婚当初は、時々は「ありがとう」といっていたが、最近の食卓には何故か会話が少ない。両親や大人から、「人から何かをしてもらったら、『ありがとう』というのよ」と小さい頃に躾けられた私たちは、一体どこに行ったのだろう。
人間力を磨く感謝の心―この感謝できる力を曇らせるのが、「当たり前」という感覚だ。残念ながら人は、当たり前だと思うことには、感謝をしない存在だ。そして現代社会は、私たちの人の営みを、どんどん契約取引化、ルール化、習慣化することで、「当たり前」化していく厄介な代物だ。駅員、コンビニの店員、オフィス清掃のおじさん。私たちの快適な生活を支える人々から提供されるサービスも、契約取引として対価を払っているからか、至極当然のことにしか感じられない。より特別な存在である職場の仲間や家族との継続的な営みさえ、組織内のルールや長年の習慣から、ともすれば当たり前と感じられてしまう。
生活に溢れる「当たり前」に意識を向けて、人に支えられ生かされている自分を再認識する。そして、「ありがとう」を(少なくとも心のなかで)口にする。感謝する心は、契約化、ルール化、習慣化された無機質な人間のやり取りを、血の通ったかけがえのないものに戻す不思議な力を持っている。それは、リーダーとしての資質を磨く上だけでなく、より良い組織、より良い経済社会を構築する上で、不可欠なものに思えてならない。