外務省でスポークスマンとして働き、CNNだのBBCだののライブ中継カメラの前に立たされる3年を送っていた間、このことが始終頭にあった。
CNNに出る場合、虎ノ門にある支局へ行く。ドーランなどは塗ってくれず、スタイリストもいないから、まずはトイレへ
行って(梳くほどの量もないけれど)髪の毛に櫛を入れ、顔の油やテカリを拭く。
時間が近づくと、非常階段の踊り場に立たされる。後ろにはビルの明かりが。いかにも東京のど真ん中という臨場感を醸し出す場所は、実は人一人立てるのがやっとという外階段の踊り場なのである。モニターテレビはない。耳に差し込んだイヤホンから流れてくる先方の質問を聞いて、目と鼻の先にあるテレビカメラを睨み返し、手振りをつけ、文字通り口角に泡を飛ばす。
出演の要請は、たいがい何時間か前にトタで来る(トタ= 緊急の業界俗語)。しかもこちらが話したいような内容ではなく、できれば聞いて欲しくないことばかりである。典型的には捕鯨問題とか。しかし外国プレス担当として外務省に在勤中、要請を断ったことはない。ただでさえ日本を取り上げられることが減っているので、この際話題の選り好みなどしてはいられない。なんであれ、テレビ電波には乗ったもの勝ちだ、というつもりだった。
アジア発ニュースといえば自動的に東京発を意味した時代は去り、国際メディアのアジア報道は質量とも北京に集中して久しい。その意味で、外務省の報道担当と東京にいる外国特派員とは皮肉な同志的関係にある。立場こそ違うが、日本に対する関心を求めてやまない限り商売にならない点で、共通性がある。彼ら特派員の場合、本国デスクに振り向いてもらわないことには、存在価値をなくしてしまうのである。
在北京の記者が、片手間で日本をカバーするという時代はもう来ている。「関心惹起シェア」みたいなものを計るなら、二〇〇三年ごろを分水嶺として、日本のシェアは急速な右肩下がり、中国のそれはうなぎのぼりという状況にある。
これは外務省ネタのような政治モノに限らない。日本は中国よりはるかに奥深く豊かな市場経済をもっているはずなのに、経済ネタを報道する分量でも、日本は中国に後れを取っているのが実情である。どうしたもんかと悩んだ3年。妙策はないが、一つはっきりしているのは一外務省の手などに負える仕事ではないということだ。振り向かせるには実力が要り、その実力は広義の経済力・国力そのものだ。
本コラムを読んでくれた方一人ひとり、この次国際会議に出た時を皮切りに、せめて何か一つは手を挙げて質問し、決して黙っては帰らない習慣に徹してくださるよう願いたい。経済人の奮起が望まれる。多々弁じるおしゃべりの癖を、日本人は意図的に身につけていかないといけない時代だ。