「夢の超特急」
これが新幹線の代名詞だと分かる人は、
たぶん四〇代以上である。若い人たちに
とって新幹線はもう「日常」であり、一つ
の特急であり、人によっては「三時間も座っ
てるの、かったるいから飛行機にしよう」
などと疎んじられる存在になっている (鉄
道マニアの少年少女は除く)。
最近、「夢の‥・」と枕詞がつく新技
術や生活様式に、滅多にお目にかからなく
なった。二一世紀の科学技術は停滞してし
まったのか。
その読みは半分当たっている。鉄の塊が
空を飛ぶような、東京−大阪問の移動時間
が半分になるような、1トンの計算機が手
のひらに乗るような、そんな画期的なイノ
ベーションは20世紀に出そろった感があ
る。そもそもある技術が「夢の‥・」と
呼ばれるためには、国民がこぞって実現を
願うという暗黙の合意が必要なわけで、価
値観が多様化した21世紀は、その意味で
も厳しい時代なのだ。
1910年の正月、報知新聞は「20世
紀の辣言」と題する特集を載せた。来るべ
き20世紀のうちに実現する23の科学技
術的進歩を予言している。
東京とロンドンを結ぶ無線電話
七日問で世界一周
薪炭石炭から電気へ
暑寒知らず(エアコン)
市街鉄道
自動車の世
これらは完壁に実現した。「みかん大の
空豆」(遺伝子組み換え技術)、「医術の進
歩」など、部分的に実現したものもある。
「科学技術自書」(05年版)はこれらを検
証し、17項目が「一部または完全に実現
した」と評価した。
予言者の洞察力は尊敬に値するが、予言
そのものも、とても単純で分かりやすい。
安全で便利な暮らしへの憧れに裏打ちされ
ている。実現しなかった予言には「蚊や蚤
の滅亡」「暴風を大砲で追い払う」という
のもある。当時の人々は、自然を生存への
脅威と考え、制御したいと考えたのだろう。
その願いをかなえる努力は、行き過ぎて
自然破壊や公害を招いた。さすがの予言も、そこまでは見通せなかった。私たちは今、科学技術を無邪気に進めることによって自ら作り出した「重すぎる」荷物を抱えて、半ば途方に暮れている。
そんな時代に、私たちは21世紀の夢を描けるだろうか。と、あるコラムに書いたところ、「一緒に考えませんか」と誘われた。
日本外科学会が来年長崎市で開く定期学術集会の市民参加行事として「私が考える21世紀の予言」を公募するという(締め切りは11月末、募集要項はこちら)。子どもから大人まで広くアイデアを募り、それを基に「22世紀の世界」を予言するアニメを作る。
94年後の2101年、私たちの孫たちが、アニメの中身を検証してくれるだろう。
21世紀の夢は、20世紀の夢とは趣を異にするだろう。でも、夢について考えることは、私たちがこれからの科学技術とどう向き合うかを考える作業でもある。