本年一月、私たち早稲田大学古代エジプト調査隊は、エジプトにおいて未盗掘墓を二基発見した。その中には未開封の木棺があった。一基は新王国時代第一八王朝末(紀元前一四○○年頃)のもので、人型棺といわれるものだ。もう一基は、中王国時代末(紀元前一八○○年頃)のもので、この墓からは男女二個の木棺が出土した。場所はエジプトの首都カイロから南へ一八キロほど行ったダハシュールという所だ。
ダハシュールは、屈折ピラミッドを始め古王国時代のピラミッドで有名なところである。しかもこの遺跡は我々が一九九六年に人工衛星の画像解析によって発見した、エジプト学史の上では新しいネクロポリスだ。このダハシュール・ネクロポリスは古代エジプトの首都メンフィスのネクロポリスとしては最も南に位置している、とてもユニークな遺跡である。一九九六年には、ツタンカーメン王の側近・イパイのトゥームチャペル(神殿付大型貴族墓)を発見、そこからツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の指輪が出土している。また、二○○五年一月には、イパイのトゥームチャペルの西一○○メートルほどの所から未盗掘完全ミイラの発見もした。その墓は「セヌウ」という人物のもので、中王国時代末の軍司令官であることが、木棺に記されたヒエログリフから判明した。そして本年の発見へと続いたのだ。夫妻が同じ墓から見つかったのは、エジプト発掘史上大変珍しい。
それ以外にも二一世紀に入って、二件の大発見を行って来た。それ故、私たちの発掘は世界のエジプト考古学者から注目されている。しかしここまでくるには四○年という年月がかかっているのである。今から四○年前、今は亡くなられた川村喜一早大教授とともに初めてエジプトに行った時は、現地で発掘調査をしていた欧米の調査隊には眼も向けてもらえなかった。約四年のエジプト考古庁との折衝の後、マルカタ南地区に発掘権を取得し、本格的調査を開始したのが一九七一年のことであった。そして一九七四年にはそこから彩色階段を持った遺跡「魚の丘」を発見し、世界的に認められるようになった。やっとエジプト考古学者の仲間に入れてもらったのである。それから今日まで、一○を超す国際的な発見を行ってきたおかげで、やっと一流のエジプト考古学集団となったといえよう。
考古学において、運がなければ新発見はできない。もちろん幸運だけに頼って何もしなければ一○○%新発見はないが、逆にどんなハイテクを用いても、幸運の女神なくしては何も起こり得ないのだ。私たちも人工衛星の画像解析を始め、電磁波地中レーダー、偏差重力計探査などいわゆるハイテクを駆使してきた。が、それらのデータ結果はあくまでも目安である。調査をしてみるとわかるが、ハイテク機の出したデータをどう読むかということと、隊の責任者の決断にかかっているのである。この決断に運がかかっていて、幸運の女神が微笑んでくれれば大発見につながる訳だ。かといって、私たちが運だけに頼って生きているようにとられると困る。この幸運の女神に微笑んでもらうために、日夜懸命の努力を行っていることも付け加えておきたい。