ヘミングウェイは名作「キリマンジャロ
の雪」の中で「アフリカで生まれアフリカ
で育った人は一度は必ずアフリカに戻る」
と書いている。一九六五年から四年間、南
アフリカのヨハネスブルグに駐在し、主と
して南部アフリカ諸国を駆け巡った私にと
って、この言葉は熱く胸に響く。
私の本業であった資源確保・日本製品の
市場開拓の思い出はさておいて、果てしな
く美しく過酷なアフリカの大自然、多くの
野生動物との感動の出会い、又各階層に亘
る多くの黒人達との時には楽しい、時には
切ない触れ合いへのノスタルジーが強烈な
吸引力となって爾来四十年の間何度もアフ
リカに舞い戻っている。
私の娘などは、主人の任地であったサウ
ジアラビアを拠点に休暇の都度、ヨーロッ
パではなくアフリカの大自然・動物の許に
里帰りしている。
そこには、過酷な自然環境と、盡きない
部族間抗争の中で、貧しい乍らひたむきに
生きている多くの生命の烈しさと諦観に似
た一種の物悲しさがあり我々を引き付けて
やまない。
世界の統計によれば、アフリカ五三ヶ国
の内三三ヶ国が後発開発国(LDC)に指
定され、一日一ドル未満で生活する極貧層
の人口は約四億人(全人口の四六%)に達
しその多くはサブサハラ地域に拡がってい
る。
HIVの感染者は実に世界の六六%の二
五〇〇万人。五才未満の幼児死亡率は一
八%と将に深刻な世界である。
二〇〇五年グレンイーグルでのサミット
でアフリカへの国際支援が中心的議題とな
り、日本を含め国際社会の幅広い支援活動
に拍車がかかったのは「アフリカ大陸の春
の到来」を予感させるものと、誠に喜ばしい。
「平和の定着」「経済成長による貧困削
減」に加え「待ったなしの人道支援」が三
本柱となる。特に人道支援の中では、食
糧・水の感染症等への緊急対応に加え、教
育の普及に全力を傾注すべきと思われる。
去る一一月、中国で北京サミットが開催
され胡錦濤主席の許、アフリカ四八ヶ国の
首脳が参加し、戦略的・経済的パートナー
シップの構築が採択されたことは私には衝
撃的な出来事であった。
私の記憶によれば一九六〇年代のアフリ
カ諸国の道路や鉄道建設に当たり、中国は
人民軍を派遣し、人海戦術でこれを完成し、
更には多くの兵士達が現地に残留し、半世
紀に亘り地域社会に融けこんでいる事実が
ある。
アフリカと云う地域特性を熟知しての息
の長い外交政策の実りであるとすれば、畏
敬の念すら抱かせる。
アジアは戦後数十年に亘る日本の貢献に
より今日の繁栄を築いてきた。アフリカに
一宿一飯の恩義のある私としては残された
最後の大陸への春の訪れを願わずにはいら
れない。