日本の社会に欠けているのは評価だと考
えて来たが、最近、ますますその感を強く
している。大体評価されるからと対症療法
的に何かすることが有効だと云うことは、
評価がまだ眞物になっていないと云うこと
で、受験塾などと云う名称から可怪しいの
だが、学習補充校とでもすべきだと思う。
とは云っても、そんなことしたらすぐに志
望者がへり、塾は経営危機に見舞われる。
そんなことになっているのは、藤原正彦先
生がキツーイことを云っておられる国語の勉
強が不十分なところにある。大変前になるが、
NHKが山根基世キャスターで美しい日本語
と云うシンポジウムを開き、どういう訳か私
も引っ張り出されたことがあった。
パリのコメディー・フランセーズに行け
ば代表的な正しく美しいフランス語が聞け
るように、日本でも美しい日本語の維持は
文化の源流でしっかり残すようにすべきな
のに、意味不明の日本語が横行するように
なっているのは問題であると云ったことを
述べたが、専門の国語研究所の所長さんは
もっと任意性のあるものだと云う趣旨を述
べられた。その後、変化はますます激しく
なって何を云っているのか、関西万歳みた
いで判らないことが多くなった。脳がしっ
かり対応しないで喋るようになって論理に
裏打ちされていない言葉が送受されるのが
原因だと考えるが、次第次第に日本人の論
理が頭の中でも怪しくなって来ているので
はないだろうか。その中で「フィーリング
で考える。」などという矛盾そのものの言葉
ですら横行することになる。
しかも入って来る知識は受験対応で評価
されるための知識で、利用出来る知識にな
っていないから、雑然と入っている、全体
が繋ぎ合わさっていないバラバラの智慧の
輪みたいなものである。最近取り上げられ
ている認知症なども発症し易くなってゆく
のではないだろうか。
英国人は、少ない研究費でも適切な人選
をするから研究成果の挙がる効率が抜群に
高い。どうして評価が旨いのかとエセック
ス大学のアラン・ギブソン教授に聞いたら、
暫時呆気にとられたような顔をしていたが、
『それは英国人が細かくて執念深いからだ。
誰かが何か云うと実によく覚えていて、そ
の後の展開と比較していて、正しかったか
否か見ている。「何年前に云ったのは正しか
った。」という工合になるが、そんなこと一回あった位では絶対に信用しない。まあ十
回ぐらいで初めて信用するんだ。』と云うこ
とだった。
日本では、大変強力な地位にある方が、
翌年には断わりもなしに反対のことを云う。
自分の論理をしっかり持たず、多く外国か
ら聞いて来て発言したり行動したりするか
らだろう。
これでは、日本の経済も産業も効率が上
がるまい。今は、老人ひっこめの時代だが、
充分に自分の見聞と思索を生かした人が先
見を持つことが出来るのに、そういう人達
が生かされないでは如何なることになるの
だろうか。