(財)経済産業調査会ロゴ <<< 前の画面へ戻るお問い合わせサイトマップTOPページ刊行物のご案内
リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2006. 4.  RIETI  LETTER
日本と共に成長した世代顔画像と経歴



中央大学特任教授
  石  弘光

 各世代ともに自分が育った時代の動きに、 当然のことながらその人生が大きく左右され る。第二次大戦中に兵役にとられ戦地に赴き、 仲間の多くの命まで失った世代の方々がもっ とも、悲惨な目にあったといえよう。この状 況と比べると、われわれの世代は日本の成長 とともに、わが身の人生の軌跡をたどった眞 に恵まれた生い立ちを持っている。私は一九 三七年生まれ、終戦の年は八歳で玉音放送を 聴いた世代の一人である。終戦直後の食料難、 住宅難を肌身で経験した世代でもある。

 しかしながらわれわれの世代は、敗戦に打 ちひしがれながらもどん底から這い上がり、 「世界の中の日本」に成長した日本と同じ歩 調で、自分自身も成長したという一体感をも っている。これが最大の特徴であろう。日本 がたえず上昇気流にのり上に上にと大きく飛 翔した時期に、自分たちもその時々で社会に 羽ばたけたのである。必ずしも物質的には現 世代の人たちより恵まれなかったが、精神的 な充実感はそれを余りあるものにしていたと いえよう。小中学校時代はまだ終戦の余燼が 残り、物は不足していたし日常生活も貧しい 状況にあった。しかし私が高校を卒業する一 九五○年代後半の頃から日本経済は高度成長 に入り、この成長の恩恵は、見る見るわれわ れの家庭生活を豊かにさせた。おそらくその 節目は、一九六四年の東京オリンピックであ ったろう。それ以降、各家庭には三種の神器 (冷蔵庫、テレビ、洗濯機)が備え付けられ、 住はまだしも衣食は次第に充実し生活水準も 大幅に改善された。

 一九六○年代に入り、大学を卒業し実社会 に出たわれわれの世代は、まさに企業戦士と し日本経済の発展の先兵となったわけであ る。右肩上がりの経済は活気を生み、日本経 済の前途は洋々としていたものだ。一九八○ 年代に入り四○歳代のまさに働き盛りに、日 本は急速に国際化し活躍の舞台は全世界に広 がった。日本企業の海外進出もあり、多くの 日本人が外国での生活を経験しまた円高の 下、老いも若きも観光で外国旅行を楽しめる ようになった。日本の国際社会での地位も飛 躍的に上がり、日本人として誇りを持つこと ができたのは幸せの一言に尽きる。

RIETI LETTER 表紙画像  しかしながらこの幸せは、一九八○年代後 半以降のバブルとその崩壊後、われわれの身 近から姿を消してしまった。新しい世紀を迎 える頃、われわれの世代が社会の一線を退く 時期に、日本は急速にこれまでの輝きを失っ た。国際社会からも、日本の地位は急速に低 下したように思われる。デフレ、失業、フリ ーター、リストラなど、どれをとってもわが 世代の若い頃に経験しなったことばかりであ る。皮肉なことに、このような日本の落ち込 みはわれわれの世代のパワーの衰えと機を同 じくしている。気にかかることは、人口減少 時代での財政赤字累増の解決を、後世代に押 し付けてしまった点である。



次号は私の畏友、日銀副総裁武藤敏郎氏に バトンタッチします。
リレーエッセイ 「日本と共に成長した世代」  (リーチレター 2006年4月号)  中央大学特任教授  石  弘光

 info@chosakai.or.jp
 http://www.chosakai.or.jp/

無断転載を禁じます 財団法人経済産業調査会
Copyright 1998-2006 Reserch Institute of Economy, Trade and Industry.
<<< 前の画面へ戻るお問い合わせサイトマップTOPページ刊行物のご案内