各世代ともに自分が育った時代の動きに、
当然のことながらその人生が大きく左右され
る。第二次大戦中に兵役にとられ戦地に赴き、
仲間の多くの命まで失った世代の方々がもっ
とも、悲惨な目にあったといえよう。この状
況と比べると、われわれの世代は日本の成長
とともに、わが身の人生の軌跡をたどった眞
に恵まれた生い立ちを持っている。私は一九
三七年生まれ、終戦の年は八歳で玉音放送を
聴いた世代の一人である。終戦直後の食料難、
住宅難を肌身で経験した世代でもある。
しかしながらわれわれの世代は、敗戦に打
ちひしがれながらもどん底から這い上がり、
「世界の中の日本」に成長した日本と同じ歩
調で、自分自身も成長したという一体感をも
っている。これが最大の特徴であろう。日本
がたえず上昇気流にのり上に上にと大きく飛
翔した時期に、自分たちもその時々で社会に
羽ばたけたのである。必ずしも物質的には現
世代の人たちより恵まれなかったが、精神的
な充実感はそれを余りあるものにしていたと
いえよう。小中学校時代はまだ終戦の余燼が
残り、物は不足していたし日常生活も貧しい
状況にあった。しかし私が高校を卒業する一
九五○年代後半の頃から日本経済は高度成長
に入り、この成長の恩恵は、見る見るわれわ
れの家庭生活を豊かにさせた。おそらくその
節目は、一九六四年の東京オリンピックであ
ったろう。それ以降、各家庭には三種の神器
(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)が備え付けられ、
住はまだしも衣食は次第に充実し生活水準も
大幅に改善された。
一九六○年代に入り、大学を卒業し実社会
に出たわれわれの世代は、まさに企業戦士と
し日本経済の発展の先兵となったわけであ
る。右肩上がりの経済は活気を生み、日本経
済の前途は洋々としていたものだ。一九八○
年代に入り四○歳代のまさに働き盛りに、日
本は急速に国際化し活躍の舞台は全世界に広
がった。日本企業の海外進出もあり、多くの
日本人が外国での生活を経験しまた円高の
下、老いも若きも観光で外国旅行を楽しめる
ようになった。日本の国際社会での地位も飛
躍的に上がり、日本人として誇りを持つこと
ができたのは幸せの一言に尽きる。
しかしながらこの幸せは、一九八○年代後
半以降のバブルとその崩壊後、われわれの身
近から姿を消してしまった。新しい世紀を迎
える頃、われわれの世代が社会の一線を退く
時期に、日本は急速にこれまでの輝きを失っ
た。国際社会からも、日本の地位は急速に低
下したように思われる。デフレ、失業、フリ
ーター、リストラなど、どれをとってもわが
世代の若い頃に経験しなったことばかりであ
る。皮肉なことに、このような日本の落ち込
みはわれわれの世代のパワーの衰えと機を同
じくしている。気にかかることは、人口減少
時代での財政赤字累増の解決を、後世代に押
し付けてしまった点である。