去る八月、フィリピン・セブ島でAPE
C/ABACマニラ会議一○周年記念式典が
開かれた。私もお招きを受け、出席した。
ABAC(APECビジネス諮問委員会)
というのはAPEC(アジア太平洋経済協力
会議)を推進するために各国首脳から委嘱さ
れたビジネストップの集いである。
一九九四年、私は当時の村山首相から、A
BACの前身のPBFの初代日本代表の一人
に任命された。一九九六年、フィリピンのス
ービックAPEC首脳会議の際のABACに
も私は出席した。
早いもので、あれから一○年が経つ。
セブのホテルの部屋に入ると、晩餐会用に
着用する正装のバロンタガログが備えてあ
る。着てみると体にピッタリである。案内状
が届いた際、寸法を聞いてきた。こういうと
ころは芸が細かい。早速着用して会場に向か
ったら、マニラから着いたばかりのラモス元
大統領に会った。
親しく話しているうちに、
次から次へ、懐かしい顔が集まってくる。
私は、ジェフリー・クー(台湾)、イメルダ・
ロッシュ(豪州)、ナバロ夫妻(フィリピン)他と
ともにラモスさんと同じテーブルを囲んだ。
一○年前のAPECの想い出話に花が咲い
た。ある時、ラモス大統領はわれわれABAC
メンバーを夫妻でマラカニアン宮殿の晩餐会
に招き、労って下さった。ラモスさんは翌朝、
帰任直前の松田慶文駐フィリピン大使の送別
ゴルフを約束されていた。ところが、夜中の一
二時を過ぎてもラモスさんは席を立たない。
松田大使は早朝ゴルフはとても無理かなと
半ば諦めて帰宅された。ところが後で聞いた
ところでは、ラモスさんは翌朝五時前にマラ
カニアン宮殿内のゴルフコースの一番ティー
で大使をお待ちしていたそうである。ラモス
さんは気配りと気遣いの人なのである。
もっとも、ラモスさんの人使いの荒さも相
当なもので、ロムロ(元外相)、ナバロ(元
貿易工業相)、シアソン(元外相)といった
中核閣僚は、朝五時に、「今朝の新聞を見た
か」と電話で起こされたり、真夜中の午前三
時に緊急会議とか、まさに二四時間勤務体制
だとこぼしていたのを覚えている。
セブでの晩餐会の夜はにぎやかな舞踏曲と
ともに更けていった。ABAC同窓会の集い
を私は存分に楽しんだ。ただ、この一○年、A
PECの存在感が薄れていくのが気になる。
APECは日本にとって大切な国際的枠組
みであることを再認識する時であると思う。
それは、民主主義と市場経済という価値を
基盤にしたアジア太平洋地域の構築が、日本
の長期的、安定的な発展にとって望ましいか
らにほかならない。
二国間FTAを進めることも重要である。
ただ、二国間だけでは十分に対応できない課
題もある。例えば、安定した日中二国間関係
を築くには、それを支える多角的な面を広げ
ることが望ましい。より平和的、より民主的、
より市場経済的な中国に向かわせるため、日
本は、米国、ロシア、ASEANと協力して
いく必要がある。APECはそれをつくる土
台になりうる。
もう一度、APECに活を入れ、アジア太
平洋協力の礎にするべきだ、日本こそそのた
めのイニシアティブを発揮するべきだ−一○
年後の同窓会に出席し、改めて痛感した次第
である。